ふぉとde日記

思いついたことを撮ってきた写真とともに綴ります。できれば毎日シャッターを切りたいところですがマイペースにやっていきます。風景写真を中心に鉄道・風景・スナップ・Jリーグなど。たまに時事的な話題も。

3.11  8年目の三陸を訪ねて

3.11から8年が経ちました。

ちょうど一週間前、2019年3月11日に三陸に足を運びました。

 

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2011年3月11日、私は中学一年でした。

ちょうど翌日から期末テストが始まるとのことで学校は午前中授業。帰宅してカップ麺をセットした時に地震がきました。神奈川も揺れ、たまたま自分の家の地区は停電しました。にも関わらず、悠々と揺れる前にセットしたカップ麺をすすりながら、地震震源はどこなのか気にする程度でした。

停電してたのでラジオで震源を知り、その後、ガラケーワンセグテレビがあることに気がつきニュースを見ました。津波の映像でした。

 

ただ、当時の自分には翌日からのテストのことで頭がいっぱいだったようです。

 

 

学校からテスト中止(成績はテストなしですとのこと)のメールを受け取ると、心の底から「ラッキー」と思ってしまいました。

 

テスト後に友達と行く予定だった旅行も行かないことになり、自粛ムードが嫌でした。

ちょうど、震災前に買ったカメラが震災の翌日に届きました。早く使いたいのに、旅に行ける感じではない。この状況に中一の自分はモヤモヤして、ろくに地震のことを考えなかったことを鮮明に覚えています。

 

この時の自分を思い返してみると恥ずかしさでいっぱいになります。

もし、大学生の今、大きな震災が起こったらすぐに現地に向かうと思います。

ボランティアも経験はないですが、参加すると思います。

 

でも、中学生当時は逃げるように普通の生活をしてました。

 

震災から一年半後、中学の種学旅行で宮古周辺に行きました。

この時、震災後の三陸に初めて行き、三陸鉄道や田老地区の方々に話を聞きました。

自分が直視してこなかった震災の爪痕を感じるとともに一年半で少しずつ復興も前進しているのかと思いました。

(2012年)

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田老地区の世界最大級と呼ばれた防波堤 ここを津波が乗り越えた

 

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今でも震災遺構として残り、ガイドが行われている元たろう観光ホテル

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北リアス線復旧前の島越駅の線路

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陸中野田駅手前の松林がすっかりと無くなった海岸。 震災前にはここから海は見えなかったという。

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浄土ヶ浜の遊覧船 地震発生から津波到達までの間に沖に出て船ごと助かったというエピソードが残る

 

それから、行ける時に足を運んで自分の中で地震を考えてみたい。と思うようになりました。何もできないけど、せめて自分の心のベクトルは東北に向けておきたい、と。

 

その後、高校時代に一回、釜石周辺に行きました。(2016年)

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三陸駅近く。 瓦礫で作ったでしょうか。 先週近くを通った際には無くなってました。

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曲がった秒針

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三陸駅のコンクリ。一昨年はこのままでしたが、今年は華やかな絵で上書きされてました。

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陸前赤崎駅付近 流されてきた船でしょうか。船は一昨年には撤去されてました。


そして、大学に入ると自分でお金を稼げるようになり、自然と行動範囲が広くなると2017,2018,そして先週と一年に一度足を運んでいます。

 

さて、今回の旅の話にしましょう。

今回は3/10-12の三日間、青春18切符で仙台まで行き、仙台でレンタカーを借りて回りました。

 

夕方に到着した仙台のタイムズで借りたのは、、、

アクセラ

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アクセラ

マツダ車はフィーリングがいいですね。

いつもヴィッツなので車内が広くて快適!

 

北限を大槌にしてこの日の夜に大槌まで行きます。

 

0時前に到着。

高台から街を見下ろします。

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街には生活の灯りが。

大槌は新しい家や新しい庁舎、マンションのようなものまで確認できました。

 

3/23日からは宮古〜釜石で元JR山田線が三陸鉄道リアス線として開通します。徐々にインフラも整い、町が生きてるように感じました。

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このホームに多くの人が溢れるといいですね

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来週には赤色信号が青色に。

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静かな大槌の港 

 

車中泊

朝、目を覚ますと

大雨、、、、

テレビで見た方はお分かりかと思いますが、今年の3/11は大雨でした。。。

外に出たくないレベル。

波浪警報も出てた。

外に出たくないけど、全身をGore-Texで纏って、カメラにレインカバーをかけところどころで車を降ります。

 

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吉里吉里港。 防波堤を新設。

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工事

大槌旧庁舎跡へ。

ここでは式典があるのかメディアの方が集まってました。

 

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雨の3.11

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続いて、釜石の下、吉浜地区へ。

リアス式らしい海岸。

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ゴツゴツ

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ウキ

 

三陸駅方面に南下します。

大雨なので、一回の滞在が短くなりがちです、、、

 

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山を削って盛り土をしているのでしょうか

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新しいコンクリート築堤を行く列車

お昼前になったので大船渡へ。

ご飯を食べようとしますが、大船渡の魚市場のお店に行ったら混んでて入れず、、、

併設の展示を見て、セブンイレブンでおにぎりを食べ、陸前高田へ。

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津波の大きさ

 

陸前高田で14時46分18秒を迎えます。

場所は奇跡の一本松。

大雨にもかかわらず、多くの方が追悼に来ていました。

NHKや岩手めんこいTV、朝日新聞岩手日報などのメディアもいました。

 サイレンが周りに家のない空間い1分間鳴り響く。やはり津波の悲惨さを考えてしまう時間でした。

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2枚目の写真でわかるかと思いますが、川崎フロンターレのユニ(しかも今年の1stユニの22番下田北斗)を着ている方が!陸前高田はMind-1ニッポンプロジェクトでフロンターレが被災地支援をしている地域。選手が陸前高田に行ったり、陸前高田の中学の種学旅行は川崎。フロンターレの試合にも招待されて見に来てくださってます。ホームゲームでは「陸前高田ランド」というイベントでご当地グルメなどを等々力で食べれるなどお互いに友好関係があります。なので、サポの方がフロンターレつながりで足を運ぶんだ、と嬉しくなりました。フロンターレが被災地と繋がっていることで「支援はブームじゃない」というスローガンのごとく常にフロサポの頭の中に陸前高田が、東北が、あるということはとても大事なことだな、と感じました。

 

そんな陸前高田ですが、海から少し離れたところに大型商業施設ができており、生活は少し戻って来ているようですが、海の方はいつまで盛り土をしているのだろう?と疑問に感じてしまうような状態でまだまだ更地の状況です。

大槌や気仙沼・釜石などと比較しても盛り土の規模が大きく、復興はまだまだ先が見通せないような印象を受けました。

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更地が続く

このあと、気仙沼向洋高校が3/10から一般公開が始まったとのことなので行ってみることに。

取り壊しか、震災遺構にするか議論されたそうだが、震災遺構として保存することになったとのこと。

16時に着いたら、15時までだった、、、

 

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また今度来ます

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2017年に来た時。 今は手前が盛り土もされ、整備されていた。

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高校近く。今は撤去されてました。

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翌朝、写真を撮りに来ました。 2017年の時に比べて基礎の工事が進んでいます。



雨に降られまくって辛かったので、温泉に入りに行くことに。

普通なら近場で探すところですが、ここは大学生。

「泉質が良いとこにしよう」

とのことで田沢湖近くの水沢温泉に行くことに。

乳白色のお湯に入りに行きます。

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温泉!

良いお湯でした^ ^

 

盛岡でラーメンを食べ、再び向洋高校へ。

星を撮りに寄り道。

引き波で削られた校舎。

残った入り口の看板。

やっぱり重たいものがあります。

でも、震災遺構として残してくださったことは東北民でない人にとってはより被害を感じられるチャンスになります。地元の方々の決断にありがたく感じます。

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朝焼け後、車を飛ばして仙台まで車を返したのでした^ ^

 

そして、電車で郡山へ。

郡山からタイムズカーシェアで浪江に行きます。

借りた車は、MINI CROSSOVER!

初めての外車で楽しくドライブ^ ^

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MINI!

 

浪江は昨年の3/11に訪れました。

そこから一年で変わっているかどうか見に行きました。

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2018

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2019

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2018

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2019

 

残った家屋などの取り壊しなどはまだ行われていなく、その代わりに何も手をつけられてなかった更地が盛り土と防災林造成の基礎ができてました。

 

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2018

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2019

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2019 杉の苗が。

請戸漁港は立ち入り禁止になってました。

こちらにも手が回ってきたということでしょうか。

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2018

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2018

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2019

双葉町方面に行った海岸線。

こちらは枯れ木が立っていたのですが切り倒され、大きな重機が入り、基礎工事が進められていました。

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2018

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2018

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2019

高台の霊園へ。

ここには碑が立ってます。

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2018

ここからの景色、まったく変わってないです。

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2018

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2019

 

 

被災したであろう墓地は見当たらなかったので基礎工事に伴い撤去されたのでしょうか。

少しずつ、基礎工事から着手されている印象を受けました。

また、この一年で変わっていくでしょう。

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2018

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2019 工事が進んで来ました

 

一通り回り、郡山へ。

そこから青春18切符でコトコト帰宅します。

家に帰る時間がなかったので直接夜勤へ。

夜勤をしてからお家に帰りました〜

 

今回は、大槌から陸前高田気仙沼、浪江といくつかの街を回りました。

場所によって被害の程度、被害の種類、復興の進捗度はまちまちです。

東日本大震災は「天災」です。津波の被害を逃れることはできません。しかし、原発や防波堤による逃げ遅れ、ハザードマップの住民の認識不足など人的被害を大きくしたのは人間の行動です。ある意味「人災」ともいえると思います。

人がいなければ街は復興もできません。人がいれば、道のりは長いにせよ復興、新しい街つくりは可能か不可能かで言えば可能です。

天災と向き合うことは天災を人災にしないための教訓かと思います。

そして、天災が起こりにくいまちづくりをして行くことができます。

無力ながら、東北に心だけでも寄り添って行きたいです。