タバスキーが教えてくれたコト
日本農業新聞7月1日付の紙面から8回にわたって連載されていた「変わりゆく山村留学」の記事を読んで、懐かしくなってしまった山梨県丹波山村。(現在は北海道鹿追町が特集されています)2018年にFUPC(日本学生写真部連盟)の夏合宿で訪れたのが最初で最後でした。ただ、丹波山にはどこか引っ掛かるようなものがあり、それが記事で思い出されたのかもしれません。今、自分が欲している感覚のようにも感じたので過去の写真を漁ってみることにしました。大学2年の時の写真たちなので期待しないでご覧ください。(笑)
まず、記事では
・丹波山は規模感から村の課題解決を児童が提案し、村が真剣に検討し、実現したアイデアもある
・多くの留学生の親が村の新たな価値作りを支援している
・村に残った若い世代が伝統を引き継ぐ活動をしている
などが話題に。
村の広報を読むと今年の地域おこし協力隊もなんと8人が着任するなど外からの人が多く村に来て生活されていることがわかります。
丹波山は昔ながらの小さな村の生活を守りながら新しい価値を村外にアピールしている村と言えそうです。
多摩川の源流にあたり、田畑などが少ない丹波山村。人口500人ちょっと。ただ、多くの人が想像する「田舎暮らし」とは少し異なっている気がします。国道411号を奥多摩湖側から登ってくると小さな集落があり、その先に役場や学校道の駅などがある大きな集落が出てきます。これでほぼ、人の住む地域は終わりです。山に囲まれ、川沿いの平地にぎゅっとできた村。主集落内はほぼ歩いて行き来できるほどの面積。まるで北海道の自治体と真逆。それだけ、地域の人の距離や結束も強いのかもしれません。この村の特徴であり強みとも言えるでしょう。
頑張って3年も前の記憶を辿ってみると、四方を山に囲まれた国道を歩いただけでどこかタイムスリップしたような街道の風景に出会えたり、蔵が気になって一歩民家と民家の路地に入り込むとおばちゃんたちが談笑している。
小学校には私と同じ1997年に生まれたキャラクターの「タバスキー」が遊び、山からの湧水が民家と民家の間から湧き出し、生活用水になっている。
夜には星が瞬き、山なので雲が村にさまざまな表情を作る。
一泊二日の短い滞在、しかも歩きでしか移動していないのにもかかわらず、村のいいところをいっぺんに体感したかのような充実感があった気がします。
この感覚も「宿場」であった歴史が関係しているのかもしれません。昔は交通手段が歩きしかなかったわけで。甲州と青梅を結ぶ「裏甲州街道」として発展した丹波山は人間の身体感覚に無理のない土地の使い方、家の建て方、住民同士の繋がりがあるのかもしれません。このように考えると、意識していなくても「歴史」の層を堪能してきたのだと気付かされます。古文書を読むわけでも遺跡を発掘するわけでもないですが、ちゃんとそこには「歴史」が写っている。北海道は開発でアイヌの歴史が可視化できない形になり、その開拓のわずかな歴史が上書きされています。
本州にいるときには当たり前すぎて気がつかなかったこと。これからも一つ、二つと気がついていくのかもしれません。それってすごいことでありがたいこと。でも、北海道にはない景観は撮れません。ただ、開拓150年の歴史は写っているはずで、今の自分の色眼鏡を通すとそこに「意味」や「価値」を見出そうとできないのだと思います。何をどう撮るか。引越し後の課題であるのです。コロナもあり、北海道に来てから民家や田畑にレンズを向けることがほぼないのですが、「コロナだから」とか「自分の感覚に触れないから」と避けていたら単なる言い訳に過ぎないかもしれません。道内で自分が好きな自治体を早く見つけたいものです。そのためには自分が進化していかなくては。いろんな視点を持てる人にならなくては。タバスキーが教えてくれたことです。