2019年写真で振り返りpart1〜1月-6月編〜
ブログとはご無沙汰しておりました。
今年も早いことで終わろうとしています。
ということでどういう一年だったか振り返ってみようと思います。
いっぺんに書くと、書く方も読む方も疲れちゃうので今回は1月から6月までにします。
2019年1月
「初めてづくしの1月」
・・・でもなぜかあまり撮影に行ってないんですよね。。。
1月の自分に喝を入れたいくらいです笑
と、言いつつ1月はサイノカミに参加させてもらったことがすごくいい経験でした。
大きな「火」を間近で見たことは初めてでしたし、(「火」が生活から離れていることを痛感しました。)初めて昭和村の人の温かさを感じました。冬だからこそより温かみが伝わってきたのだと思います。
もっと村のことを知りたい!と思ったのもサイノカミに参加させてもらったからです。
あと、初めて雪山低山に登ったのも一月でした。
2月
「スキーを捨てた一ヶ月」
冬は何と言ってもスキーですよね。以前、友達とスキーに行った際、「私をスキーに連れてって」の股の中をくぐり合うやつ(わかる人いるでしょうか、、、?)をしたい!といったら「何それ?(動画を見せる)え〜できないよ〜」と却下されてしまいました。やってくれる人募集中です笑
というのはどうでもいいのですが、そんなスキーになぜか行かなかった2月。今死ぬほど行きたいので理解に苦しみますが、フォトマッチ写真展やイスラエルで忙しかったからです。
フォトマッチ写真展はピクトリコさんのギャラリーでやらせていただきました。作品の並べ方もフォトコンの編集者の方に相談するなど勉強になったことが多かったです。(大変なことの方が多かったけど!)
イスラエルは砂漠で地球の大きさを感じ、エルサレムで共存を感じ、バティールで国境を感じました。初めての地中海だったし、桜も咲いてたし、実弾兵士がそこら中に歩いているし、発砲も聞きました。本当に刺激的な旅でした。
3月
「久しぶりの合宿と初の海外ひとり旅」
2年生の夏、FUPCの合宿以来大人数の「合宿」には参加してなかったのでなんかワクワクしました。ホテルでちゃんと朝晩食べるなんてここ最近してなかったので、ああ、合宿だ〜と笑
大阪の友達ともここで初めて出会ったのでいい合宿でした。
初めての一人海外もこの月でした。行き先はベトナム。ダナンを中心とした中部を巡りました。ここでは「観光地アレルギー」が発症、、、海外では言葉もわからず、情報も少ないため観光地に行くことが多くなってきます。特に一人なので現地と自分の関係しかないわけです。すると、、、無理にガイドしようとする人、押し売りしてくる人、お金をとって見せようとする人、そして物価が高いこと。ベトナムで、日本で失われたような暮らしを見たいと思っていたのにそれができず「あ〜〜〜〜〜〜〜〜」となっていました。。。
翌朝、観光客<地元民、な朝市に行ったら即脱出したのでした。
そのあとは、夜行列車に乗って「塩田」へ。観光ブックにも乗ってない塩田を歩くのは本当に楽しかった、、、!歩いてたらバイクには載せてくれるし、(観光地だと割高なお金を要求される)喫茶店の女の子(店番させられてた、、、簡単な英単語も通じなかった)は日本人を好奇心旺盛な目で見てくれたし、塩田の中に入らせてくれたし。やっぱ、そういう旅がしたい。
「海外で観光地には何も期待しない!そしてできるだけ行かない!」
を学びました。笑
4月
「ここから始まった週一お出かけ習慣」
桜だ〜撮れ〜!ということから週一以上でお出かけし始めたらその後も続くように笑
今は某活動が忙しくなってきたのでできてませんが、習慣を崩すってすごいストレスになってきますね。。。
昭和に車で行ったのもこの月から。
GW前で桜が咲く中、雪が降ったり。山の春って本当に希望に溢れてるな、と。葉っぱをつける前に花が咲き、水芭蕉が顔を出し、地には雪が残る。このしっとりとした感じすごく好きでした。
5月
「からむしを初めて身近に感じた」
5月は北陸に行ったり北海道に行ったり、長期休みではないのに割と遠くにお出かけできた月でした。令和は能登半島で迎えました。
その中でも「からむし焼き」を見れたことは、価値観が変わりました。火をつける前、風が吹いていて畑の持ち主さんが「今日はできないかな〜」と悩んでいると手伝いに来ていたおばあちゃん(いわゆる「結」ですね)が「今だ」と。なんとちゃんと風が止み、無事に畑を焼くことができました。自然と対話するってこういうことなんだな、と感じ、世の中の主流となった「数字」で「見える化」するということだけが大事じゃないなぁとしみじみ思いました。単なる偶然と言ったらそうなってしまうけど、自然の息遣いを感じながら生きるという「人間らしさ」を考え直してもいいのかなと思いました。
6月
「ホタルの光に誘われた」
6月は去年もホタル撮っているのですが今年どハマりしました。と言ってもホタル🔰なのでたいした写真は撮れていません笑。ヒメ、ゲンジ、ヘイケの三種類撮れたのも今年が初です。ホタルのこと考えるとその地域のどこで出るのかなー、とかホタルいたからここは水が綺麗なんだなー、とかバロメーターになるので面白いです。今年下調べできた場所もあるので来年はいいの撮れそう^ ^
半分を振り返ってもいろんなことしたなぁと感慨にふけってしまいます。
年内に6月〜12月もまとめたいと思います^ ^
観光地ってなんだろう?〜写真が楽しい理由〜
台風19号が心配な夜です。
明日の予定もなにもなくなったのでブログでも書こうかと思います。
旅行記を書くという目的で始めたブログですが、旅行記書くの疲れるのでたまには違うことも書いてみます^ ^
最近考えることに「観光地ってなんだろう?」ということがある。
そもそも地球規模で人々が「Tour」を始めるようになったのは最近のことだと言われている。1970年以降に余暇が創出され、主に北半球の中心国から南太平洋などの周縁地域に余暇を楽しむように人が移動するようになったようだ。いわゆる「リゾート」というものがこれに当たると思うし日本でもこの時期に多くのリゾート地が開発されたのではないか。
そのリゾート地ではその土地での文化や景観が優先されるよりも、受け入れる人側に合わせる開発が行われてきた。その後は、その反省として地域文化や自然への尊重をするツーリズムに変化しているという。
よく出される例として「バリ島のケチャダンス」がある。実はケチャダンスはバリの伝統文化と言われるが「伝統の創造」とも言われる。
婚礼のコーラスである「ケチャ」+西洋による「振り付け」+ヒンドゥーの「ストーリー」=「バリ島のケチャダンス」
観光客の眼差しを意識した「ケチャ」の「観光化」が行われ、70年代の開発の反省以降に生まれた「本物志向」を求める観光客に多く受け入れられ成功した例とされる。
僕も実際に昨年バリでケチャダンスを見た。ダンサーは「役者」であり毎日同じ時間に「ショー」を演じる。それを毎日たくさんの観光客(世界各国から)が楽しく鑑賞する。僕が見たときも会場に入りきらないほど観客がいて席がなく、踊り場の目の前に座るように案内された。ある意味特等席ですね笑。ここで僕は多少の違和感を感じた。何を見ているんだろう、と。「パッケージ化されたショー」を見せられているだけなのではないか、と。自分が感じたいのはその土地での文化、人の営み、自然の景観。しかし、自分が見てるのはそれを加味しているとはいえ「見せる」、いや「見せよう」としてパッケージ化されたショーである。
バリと言えば今、海洋プラスティックゴミが有名観光地のクタビーチに押し寄せるという視点がパッと思い浮かぶ。僕が行った時にはゴミは見られなかったが「観光地」でも視点を変えればいろんなことが見えてくる。
バリ滞在中にタナロット寺院という一大観光地にも行った。ここはインド洋に突き出た寺院が有名なサンセットスポットだ。ここでは多くの人が夕焼けの写真を撮って楽しんでいた。そんな中、観光地の中(観光客が出入りする部分)で網を仕掛けて魚を取ろうという漁師さんがいた。アイコンタクトをとりその後ろ姿を撮影した。その姿を撮っていたのは僕だけだったと思う。他の観光客は興味なしといったところだ。他の観光客を否定するつもりは毛頭無いが「夕焼け+寺院」というパッケージされたものを楽しんでいるという構図を強く感じた。 (もちろん下の写真のように素晴らしくきれいだ)
今年の夏、カンボジアに行った。(旅行記は諦めました、、、笑)カンボジアと言えばアンコールワットという有名な世界遺産がある。アンコールワットのあるシェムリアップから南に10kmほど行くとトンレサップ湖という巨大な湖がある。そこには水上生活をしている人々がいる。その生活を少し見てみたいと思い調べたのだがどうもクメール語喋れず、現地ガイドなし、観光都市シェムリアップから行ける場所は全て観光地化しているようだった。仕方ないのでトゥクトゥクで行ってみた。覚悟はしていたが市内からチケットセンターへ行き、そこから、ボート乗り場→(水上村を川から眺める)→手漕ぎボート乗り場→手漕ぎボート→折り返しの水上喫茶店(何も頼まずに撤退)→ボート乗り場、と「パッケージ化」されていた。もちろんこの道中で見えるものはたくさんあるのだが自分としては見たいところをじっくり見えないようなもどかしさを感じた。
ホテルに戻りぽっかりと穴の空いた心を抱えながら一番近い湖畔の村まで自転車で行ってみることを決め片道1時間半ほど自転車を転がした。実はここも観光地されている水上村の入り口なのだが観光客の多くがスルーする「観光村」手前の村に入ってみた。結論から言うと観光客慣れしている村だった。ただ、「パッケージ化」はしていない印象を受けた。案内をしてくれたお兄ちゃんは自分の家にあげてくれ、そこから村(規模的に集落のようなもの)を一周案内してくれた。流暢では無いが英語で対応してくれたので僕のような変わり者が時々来るのだろう。最後にはちゃんと「ガイド料」と言う名の寄付をせがまれたので(現地における)それなりのお金を渡した。観光に対してお金を落とすことは1つのモデルケースであるのでこれに対して「無料でやってほしい」とは思わない。彼が案内してくれたから村で見たいところを回れた。彼が観光じみたことでお金を稼いでいるが村の暮らし自体は本当に貧しく観光化はされていなかった。この村も雨季のピーク時には水上村になるようでそう言う意味では水上村の暮らしを見ることができ良い訪問になった。(帰り道、スコールでずぶ濡れになりながら自転車を漕いだのは辛かった、、、)
日本でも全国各地で観光地のパッケージ化とパッケージの消費が日々行われている。それが人々の心を掴むのはメディアの影響では無いかと思ったりもする。TVで「死ぬまでに見たい日本の絶景」として紹介されるとそれを見に人々が殺到する。今はインスタやツイッターといったSNSによる拡散力も大きくなっている。各メディアで紹介される前までは静かな場所だったところが一度メディア上で大きな話題になることでパッケージ化の対象となる。インスタやテレビ画面で見たものと同じものを見ようとする。パッケージ化された風景が消費されていく。八甲田の蔦沼なんてこの数年ですごい観光地化したようだ。
中西敏貴先生のnoteでは美瑛の「青い池」のことが取り上げられていた。まだ読まれてない方はぜひ読んでいただきたい。
高橋真澄先生が何十年も前から切り取ってきた風景であったと言う。お恥ずかしながら高橋先生の作品は拝見したことがなくこの記事を読むまで全く知らなかった。今や美瑛の丘と肩を並べるほどに美瑛のイメージの1つに定着した青い池が昔は「発表しないでほしい」と言われるほどの存在であったという。ある写真家によって発見された固有の風景が今やパッケージ化された風景になった。観光地になった是非をいいたいわけではない。観光地がないと人が来ないことは事実である。情報が無いとその土地を知ることすら無いかもしれない。観光地は大事な場所だ。しかしそのパッケージ化された景観やルート「だけ」を楽しむ観光の形は勿体無いのではないか。その土地のポテンシャルは決められた「点」を回るだけでは感じられないはずだ。
ここで大事なのは「発見」すること。こんな人がいる、こんな風景がある、こんな食べ物がある、こんなものが植わってる、こんな動物がいる、こんな光がある、こんな夜空が広がっている、、、時間が変われば観光地自体も様変わりするし観光地のほんの周辺に面白いものがあるかもしれない。マス向けではなくパーソナル向けの「体験」型の観光が増えたっていい。編み細工の文化があるところなら1時間で作れるようなマス向けの体験ではなく、数日かけてがっつり体験できるパーソナル向けのプログラムが多くあると面白いかもしれない。点で観光地を作らずに村とかの「面」でその土地ならではの体験をできる曖昧な魅力を発信してもいいかもしれない。観光客がそれぞれコミットすることで全く異なる体験になるような観光。そんな観光って素敵だなって思う。
僕の場合は写真を撮ること自体がアクティビティーになっている。いろんな人、風景を見つけてシャッターを切ることが楽しい。観光地に行かなくても、いや、行かないからこそ「発見」できる可能性が高くなるから楽しいのかもしれない。まだまだ上手く「発見」することはできないが楽しいから続けられる。これからもいろんな「発見」をしていきたいからカメラを片手に旅をしたい。
来年はリベンジ!TCC初参加日記!!!
こんにちは。
ブログの更新どころか、約2ヶ月の夏休みのうち旅かインターンかバイトかのいずれかで予定が埋まっていて家でゆっくりする時間がほとんどありませんでした。
月末から授業が始まりますが、10月には各地で秋が深まり、運動会のハイシーズンになり、インターンとかも入ってくるとなると今後どうなっちゃうんでしょうね。。。
ということで久しぶりの更新は先日参加した「風景写真界No.1のチーム」を決める大会Team Champions Cup(TCC)について綴っていこうかと思います。
TCCは日本写真企画さんと風景写真出版さんが主催している風景写真の大会。5人1チームを作り時間内に撮影した写真で勝負。個々の腕とチームのバランスが両方必要なゲームです。風景写真に勝敗をつけるのは...と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ネクラに見られて早朝や深夜に不審者のごとく動いて素晴らしい自然の表情を撮る風景写真愛好家たちが「スポットライトを浴びる瞬間があってもいいじゃないか」という風景写真の石川編集長たちの発案で誕生したもの。1つのイベントとしてすごく魅力的なものになっていると私は感じます。
TCCの学生版であるPMICには一昨年、去年と出場し準優勝・優勝してきました。こちらは1週間程度の撮影期間の中で主に風景写真を公園で撮影するもの。今年は後輩にPMICを譲り、満を期して大人の世界へ。
メンバーはPMIC初回と2回大会で優勝した監督を中心とする仲間たち。
チーム名は「関東学生連盟」。
どこまでTCCでも通用するのか学生の「いけるでしょ!」という根拠のない?自信から生まれたチーム。TCC東日本予選ではあろうことか1位通過をしてしまい「根拠のある自信」に変わってしまいました。笑
大会当日、会場の茅野市民館へ。
この日は組み合わせ抽選会。
チーム学生連盟と対戦するのは…チーム結風さん!
よろしくお願いします!
この時点では初参戦で相手のことが全くわかってませんでした)
ここからは13:00-18:30の第一ヒートと3:00-8:30までの第二ヒートで一人5枚の作品を作らないといけません。
撮影スタート!!!!
まずは、茅野市内の田んぼへ。
この時期は黄金色の田んぼが素晴らしく綺麗なのでまずはここで作品作り。
人が作っているものなので「直線」は活かしやすいですが、「生命力」のようなものは写しにくいところ。それでも色々と探して見ました。
★裏作品★
次は蓼科方面へ。蓼科湖の近くの森を歩くことに。
雰囲気は良かったのですが、うまくストーリー性のある被写体を探すことはできず。。。
ここら辺から「アセり」が出始めます。
いつも車で走りながら「おっ」と思ったところを深掘りしていくことの多いスタイル。今回もそのような形で挑んだのですが、やはり時間が迫ってきます。撮影条件も1日目は光のない撮影でしたのでなかなか難しい撮影になりました。
★裏作品★
次は横谷渓谷の外れへ。
ここは苔がたくさんあったので苔を意識して撮影しますが「これ!」というのが撮れず、、、
★裏作品★
そろそろ時間が迫ってくるころ。
里に降りるか山の上に行くか悩んで山の上を選択。里は翌朝にアタックすることに。
霧ヶ峰の方面に移動しました。
雲が切れたり切れなかったりの繰り返し。
光が入らないので「パッと」する作品には仕上がらず。
うまくまとめられないもどかしさを抱きながらビーナスラインを走っていきます。
ブルーモーメントになってきたころ、やっと気持ちの揺らぐような写真が撮れました。
こちらは第一回戦で使ったものなので後でご紹介。
★裏作品★
このまま一日目終了、、、
メンバーの顔が沈んでいます。。。
撮れてない〜〜〜〜〜
僕も同じく審査委員の心を揺さぶるものが撮れていなくて。。。
意気消沈したシエンタ君は10度の風に当たって凍えた体を温めるある場所に向かいます。
それは、、、
まあ、体を温めるのはいいでしょう。
あつ〜〜〜い温泉に入りながら翌日の作戦会議。
狙いと場所を大まかに決めたところで温泉から上がります。
次にシエンタ君が向かったのは、、、
後から反省してますが、これはミスでしたね、、、
いや美味しかったんですけど、ネ。。。
普段は一緒にならない4つの大学から作ったチーム。みんなでご飯食べるのは楽しいんだけど終わった後でよかったなぁ、汗。
お金がないので車中泊前提だったのですが、翌日のコンディションを上げるために快活クラブ(1200円)に入庫。
横になって眠れるなんて素晴らしいですね!!!(先週はFitで5連泊したので、、、)
ここでみんなで選別タイム。
ソフトクリームをおつまみに選別しますが、これまた作品がない、、、!
と追い詰められます。
GPVだと翌日晴れ間が出そうなのでそれにかけて寝ることに。
翌朝、3時に起床。3時過ぎに出発!
伊那市の田んぼへ。ここは下見の時に「好き!」ってなった場所。茅野市内からも40分ほどで着くアクセスの良い場所でした。
棚田とコスモスを月夜で撮影。
個人的にはすごく好きな場所なんですけど、、、
普通に写真もいいんだけど、
戦える作品にならない、、、、、、、、、、、、!
★裏作品★
近くのキャンプ場に移動して今度は水の表現。
水面から霧が出てたので移りゆく朝焼けとともに撮影。
まあ、及第点かなぁっていう感じ。
★裏作品★
林からの光を求めて付近の林道を走って光を追っかけたりコスモスを光ありで撮ったりして朝の撮影は終了。
★裏作品★
早めに帰って選別。
帰ってきたのはおそらく一番乗り。
そこから選別とカメラ内RAW現像を。
それにしてもトリミングなしは辛いです、、、
基本的に手持ちなんで微調整はトリミングで補正している身としては一切不可なのは堪えるものがありました。
それでもなんとか作品提出の時間に間に合いました^ ^
10:00 に試合開始!
第1戦目のチームオリンパスさんのマクロの写真がレベル高くて見入ってしまいます。
と同時に、不安も募ります。
チームレヴォーグさんが去年の優勝チームであるチーム南信さんを破るなど大会は序盤からヒートアップ。
いよいよ自分たちの出番が回ってきました。
第一回戦は自分が担当!
オープン!
★使用作品①★
これ、ランダム表示なので自分たちとは反対側に表示されていますが、多くの人は僕の写真が相手チームの写真だと思ったと言われました。
「安定している」とのことですが、まあ、こういうのが好きなのでこう撮っちゃうんですよね。。。
判定は、、、
1-4で負けました(審査員は5名)、、、
松の実像が雲で揺らいで見えるところに魅力を感じてシャッターを切ったのですが、相手の朝顔のストーリー性に負けました。
これは仕方ない!
これがフォトマッチの面白いところでもあり、難しいところ。
常に評価は相対的だし運も味方につけないと勝ち進めないゲーム。
面白いじゃん!
2戦目。
こちらも負け。。。
あとがなくなりました。
2戦目はいけるかと思ったのですが、、、
3戦目は、、、
わ〜〜〜
相手も面白いの出してきた、、、
判定は、、、
負け。
ストレート負けで一回戦敗退という形になってしまいました。
チーム結風さん、強い!!!
対戦相手から見ても「やられた〜」という写真の連続でした。
ちなみに4戦目と5戦目は以下の通り。
どっちも負けてしまいました。
力不足を実感させられました。
ただ、チーム結風さんが決勝まで進めば敗者復活のチャンスが回ってきます。
純粋にみなさんの個性的な作品、審査員方々のコメントを楽しむ方向にシフト。
これが勉強になるし、面白いんですね。
またステージに上がりたいから結風さんの時は応援!
負けてもまだ楽しめるのもTCCの特徴。
ライブのフォトコンテスト審査みたいな感じなのでワクワクドキドキです。
楽しんでいると、ついに結風さんが決勝に進出!
敗者復活のチャンスが回ってきました。
戦うのはチームレヴォーグさん。
時間の関係で敗者復活戦は一発勝負。
勝たないと次がないのでここまでの流れから一番勝てそうな作品を選択。
僕の作品だったので責任重大です笑。
どん!
★使用作品②★
対戦したのは以前お会いしたことのあるNさん。とても視点がユニークかつストーリーを紡ぐのが上手な方なので強敵でした。
判定は、、、
3-2でなんとか勝ちました!
チームで一勝も上げずに帰るのだけは避けたかったのでよかったです、汗。
相手の作品は巧みなフレーミングで 諏訪大社?の神的な部分を表現した素晴らしい作品でした。ほんの僅差ですが勝ててよかったです。
この作品、そのあと、フォトコンの藤森編集長から「若いから撮れる作品だったね」と好評してもらいました。画面の使い方で主題のタンポポの花を相当小さく配置したことが新鮮に見えたようです。
懇親会でよく言われたのが、もっと崩した風景写真が出て来ることを期待していた、とのコメントでした。ここのところがすごく難しくて、撮るときに何も意識してないこの作品で「若い」と言われたり、考えて狙って撮ると「若くない」と言われたり。崩すといってもどういうのが崩れているのかもいまいち分からなかったり。
本当に奥深いです。
次は2回勝負。ここで2連勝して敗者復活できれば3位決定戦です。
勢いで勝ちたいのですが、他のチームの写真に勝てそうな写真があるか考えると、、、
ほぼない、、、、
PMIC(学生版TCC)の時は多少息切れしても勝てる写真は残っていたのですが、やはりTCCはレベルが違いました。「勝てる」と自信を持って出せる写真がなく、今ままでになかった朝焼けのトーンが出てるコスモスの写真を出すことに。
どん!
相手はチームオリンパスさん。
判定は、、、
1-4で負け。
これで次への望みがなくなってしまいました。
あとは3位と優勝決定戦を楽しく観戦します。
優勝決定戦では自分たちを倒した結風さんを応援しながら見てました。
結果は、、、
チーム結風さんの優勝!
おめでとうございます!!!
最後まで作品のクオリティーが落ちない持久力と一枚一枚の写真の独創性が高かった素晴らしいチームでした。
悔いの残る大会となりましたが、TCCがPMICとは別物であること、みなさんがどう風景を切り取って写真家はどう見ているのか。限られた時間で集中して作品を作るという時間の使い方に到るまで勉強だらけの2日間でした。
反省点としては、ちょっと学生のノリで行きすぎたところですね。
ノリじゃなくて視点で学生らしさを出せるようになって来年帰ってきます!
風景写真、フォトコンの石川、藤森両編集長、実行委員長の水島先生を始めとして、学生ボランティアや市民ボランティアの方々に至るまで、この楽しい大会を支えてくださった方々に感謝したいと思います。ありがとうございました!
追記
使用予定でしたが使わなかった写真3枚です↓
★使用(予定)写真③・④・⑤★
イスラエル・パレスチナ自治区訪問記
お久しぶりです。
RAW現像が溜まりに溜まっています。
どうしたらいいんでしょうね、、、
現像した写真、片っ端からプリントしたい今日この頃です。(ホタル撮りたいし、山も登り始めたい)
HDDに日の目を見ない写真が腐るほどあるのですが、今回は2月に行ったイスラエル旅行を振り返って見たいと思います^ ^
旅を忘れないように備忘録的に書きます〜
なぜ、イスラエルに行ったかというと、一緒に行った友達とどこに行こうか話している時、彼がカトリックの信者なので彼の提案に便乗した感じです。いわゆる、外務省の警戒レベルが0のところは一人で行けそうなのでレベル1のところ(軽犯罪に注意)は2人以上で行きたいな、と。イスラエルは1~3が点在してますが有名ところはレベル1です。行って見ないとわからないので実際に行ってみよう、ということでチケットを購入。
使う飛行機は庶民の味方、アエロフロートです!
値段は、な、な、なんと!
78150円!!!
距離にしてはお安い!
ということで、2月19日成田空港から出発!
10時間のフライト、エコノミーに10時間は少しきつかったけどそれ以上にきつかったのは、
酔って寝ようとして普段は飲まない白ワインを(隣のロシア人が頼んでたので)頼んでみると、、、
気持ち悪くなりました、、、
もう、飛行機ではお酒飲みません。はい。
地獄の10時間フライトが終わると、、、
モスクワ空港での7時間トランジットが待ってますーーーーーーーー
暇すぎるので、ターミナルを無駄に移動したり、端から端まで歩いたり、空港内スナップしたり、、、
でもなかなか時間は過ぎません。
え、ネットすればいいじゃん!って思うじゃないですか。モスクワ空港は、電話番号でwifi認証をするシステムになっており、海外用フリーSIMではなくポケットwifiを借りて行ったので認証できず、、、ネット環境がなかったのです。
バーガーキングでバーガー食べたり。
なんとか時間をやり過ごし、モスクワーテルアビブ便に乗車!
睡眠を!ということで機内食が出てから爆睡!(機内食の前にも寝てたけど隣の人が起こしてくれたような気がする)
イスラエル到着!!!!!!
空港はすごく近代的でデザインチック。
先進国感がすごく前面に出てます。
出国は時間かかるのかと思いきや、何も聞かれずに入国カードをくれて無事入国。
最近は空路での入国だとスタンプは押されないようです。
イスラエルの入国スタンプ持ってると入れない国が多くなるので陸路で入られる方は注意ですね。
ベングリオン空港で持ってきた米ドルをシュケルに両替。実際は円の取り扱いもあったので米ドルにしなくてよかったですね。
空港から国鉄に乗ります!
日本のように空港に鉄道がきてるのは便利でいいですね。
ホームも綺麗です。観葉植物とかあっていい感じ。
ここからテルアビブハハガナ駅へ。ここで乗り換えてベイルシェバ駅へ。ハハガナ駅からは乗り換えなしです。
ディーゼル車の二階建て。窓ガラスは綺麗ではないですが、いい汽車旅です。
ベイルシェバまでは2時間弱。距離は割とありましたが27シュケル(約810円)とリーズナブル。
ベイルシェバは色々と問題のあるガザ地区まで直線40kmありません。ということもあり軍人が多く、撮影しにくい感じでした。駅前の商店街も金属探知機を通らないと行けないのでいちいちめんどくさい。着いたばかりなのでシュケルの感覚はないし、量り売りのシステムもよくわからなかったので朝ごはんのパンは高買いでした。
最初の目的地はベイルシェバから南に数十キロ。運行バス会社もいくつかあり、ダイヤは多め。途中に軍の施設があるようで多くの兵士さんが乗ります。ミズペラモンという街へ。ここはネケブ砂漠の真ん中にある街で、「ラモンクレーター」という23区がすっぽり入るくらいの大地の窪地を見下ろす丘の上に位置してます。
砂漠が初めてだったのでそれだけでテンションが上がります。広大な景色ゆえ、雲の切れ間からの光が大地に細切れに入ってくるのが印象的でした。
荷物を背負ってクレーターの中をハイキング。ただ、歩いても歩いても進まないので途中で切り上げ、宿へ。宿は「Silent Arrow」さん。
ここが、二人で一泊8000円くらいのまあまあするとこなのですが、砂漠のゲルみたいなもので、電気も冷暖房も何もない!!!
寝るだけなのでいいのですが、ここは砂漠気候。昼は気温上がる反面、夜はすご〜く冷えます。。。夜の気温は一桁台でした。疲れていたので爆睡できましたが疲れてなかったら寒くてねれなかったかも。。。
夕日と星を撮り、ご飯を買いに地元のスーパーへ。
宿にキッチンはあったのですが、調理はめんどくさいのですぐに食べられるものを、、、とすると、、、パンしかない。
仕方ないのでパンを食べます。
翌朝、日の出前から動き出し、クレーターで日の出を。
壮大な風景でした。
朝ごはんも前日買っておいたパン。。。(パンに飽き始めます)
バスでネケブ砂漠を抜けます。
途中、普通の道をバスなのに、100km近くのスピードで走るので迫力満点?でした。
途中からは兵士さんが大量に乗り込んできました。
銃を持って乗り込んでくるので怖いといえば怖いです。
1時間半ほどでベイルシェバのバスターミナルへ。そうそう、イスラエルはITが進んでいるので列車やバスにwifiがあり、モバイルルーターの容量を節約しながらグーグルマップを開けたりするのでありがたいです。
また列車に乗ります。このまま目的地のエルサレムに行くと早すぎるので、地中海沿いの北部にあるハイファという港町に行ってみることに。
特に行くところはなかったので、有名な教会へ。
駅から歩いたのですが、結構な急坂で辛かった。
でも、景色は良かったので良しとしましょう。
帰りは駅までバスに乗り、ハイファ駅からテルアビブハハガナ駅へ。
ハハガナ駅からはエルサレムまでバス。エゲットバスに乗りました。
テルアビブのバスターミナルですが、これがバブルで作ったけど廃墟になった商業施設みたいな感じで不気味でしたが、ちゃんとバスは来ました^ ^
ここに入るのにも手荷物検査があった(駅にも荷物検査あるのでめんどくさいです)のでテロを警戒しているようです。エルサレムの郊外にもイスラエル国鉄の駅はあるのですが、宿を取っていた旧市街の近くまで行くのにまたバスに乗らなくてはいけないのでバスで新市街まで行って、路面電車で宿まで行くことにしました。
エルサレムに着き、路面電車に乗ります。ここ、駅の券売機のような機械(英語対応)で券を買うのですが、間違えて買わないで乗るとチケット係の人に無賃乗車ということで多額のお金を請求されるようです。使う人はお気をつけて。
この日の宿は「PalmHostel」さん。機内→モスクワ空港→暖房のない宿、と限界な行程だったので、とてもシンプルでしたがベッドと冷暖房がありがたく、この日はゆっくり就寝。
翌朝、9時頃から旧市街を歩きます。
エルサレムの旧市街は地区ごとに人種が異なり(イスラム人地区には現在は入れない)街の汚さや雰囲気が違います。嘆きの壁やユダヤ人地区の学校、キリストが最後の晩餐をしたとされる部屋など歩けば歩くほどに面白いものが出て来ます。旧市街の城壁も立派なもので見応えもあり。観光地だけど、生活の場でもあり、祈りの場でもある、とても不思議な空間でした。
さてさて、この日は金曜日。金曜の夜から土曜の夜までシャバットと呼ばれ安息日です。事前の情報ではほとんどの商店が閉まる為、食材や水を買っておくべきであると書いてありました。その為、お昼頃に買い出しをしたりしました。
ここで、パンを買い込んでおきます。ライ麦パンみたいなやつ。
これが飽きるんです。。。
ジャムも買いましたが、飽きて、、、
食生活がパンばかりで辛かった。。。
ということで、昼ごはんくらいはお店で食べようとしますが、どこも高い、、、
レストランで食べると2000円はかかります。
それは高い。。。
ということで、「NewDil」というSUBWAYのようなサンドウィッチのファストフードへ。具材からソースまで色々選べて、とても美味しかったのですが、サンドウィッチ+オニオンリング+飲み物で40シュケル(約1300円)とお高い、、、
またパン生活が続きそうです。(サンドイッチもパンだけどw)
食材を買い込んだ後は、ヴィアドロローサを見に行きます。ドロローサとはキリストが死刑執行された当日、宣告を受けた教会から磔にされた場所まで十字架を背負って歩いたとされ、その道を毎週金曜日の15:00からフランシスコ会の修道士たちが同じように十字架を背負って行くことのことを言います。途中にいくつもの祈りのスポットがあり、各所で祈りを捧げながら磔にされた場所、つまり聖墳墓教会までみんなで歩くわけです。これに同行して見ました。ドロローサも参加者は観光客(欧州と韓国)が多いのですがずーと続いているとなると感慨深いです。道中は狭い路地を通ったりするので長く道が変わってないことを感じました。
僕らが同行した時は、日本人の観光客がもう一組同行していたので日本人もいないわけではないようです。
ドロローサが到着した聖墳墓教会はそれ以外の観光・巡礼客もいるので超混雑。
ただ見に来ているというより、「巡礼」ではなくてもキリスト教徒の人が観光に訪れる際も各々が祈りを捧げるので日本でお寺や神社を「参拝」するのとは異なる熱気が立ちこめます。信者ではなくても教会の作りや歴史は感じられ、行く価値は十分ありました。
ドロローサを見たらこの日のメインは終了。
日が暮れるとシャバットになり、路面電車も動かなくなるので宿で休むしかありません。
翌朝、日の出前にオリーブ山に登るので早めに寝ます。
翌朝、暗いうちからオリーブ山へ。
治安は悪くないので暗くても歩けます。
2kmほどだったでしょうか。暗くて寒いオリーブ山に到着。
ブルーモーメントの時間で旧市街を撮ります。
定番ですが、旧市街から朝の祈りの声がこだまします。
街全体が人々の祈りで包まれているような光景でした。写真で伝わらないのが残念ですが日本では味わえない体験でした。
シャバットなのでお店空いてないと思いきや、帰り道結構お店やってた。チーズを買ってパンのお供にするも、パンに何かをつけて食う、生活に限界がw
この日はお土産と回りきれなかった旧市街と城壁の上を歩いたり、グアテマラの園や昇天教会などのスポットへ。
夕日は再びオリーブ山に行き、その後、城壁のところにいたお兄ちゃんたちにつかまり(写真をせがまれた)その後、路面電車をパシャパシャ。
耐えきれなくなったので帰りにPIZZAを買って宿で食べました。高かったので具なしのピザにしましたが、
調理されたものはとても美味しかったです。はい。(当たり前)
目の前のアラブバス乗り場からベツレヘム行きのバスを探しますが、乗り場がわかりにくく、運転手さんに確認しながらバスを探します。
時刻表もないので不安でしたが、待ち始めて10分くらいでバスが来て無事に乗り込み1時間ほどでベツレヘムに到着。
ここで、バスに降りたら、おじちゃんたちが集って来ます。最初は、一応、国境を超えたので何か検査的なものかと思ったのですが、すぐにタクシーの客引きだと判明。
ホテル名を聞かれたのでそれに答えてしまっていたのですが、幸い、Booking.comで予約した名もなき小さな宿であったのでタクシーの客引きもどこなのかわからず、「No Taxi」と連呼にしてやり過ごしました。
しかし、このホテルが事件を起こすことに。。。
ホテルの名は「Aman Hostel」ベツレヘムの人たちはいい人が多く、たまたますれ違った人が「どこに行くの?」と道を教えてくれようとするも、ホテル名を言っても「わからない」と言い、地図を見せると方向を教えてくれるのみ。だんだん、不安になって来ます。とうとう地図とGPSでホテルがあるとされる場所に着くも、看板も入り口も見当たらない。見えるのはアパートのような建物のみ。このどこかにホテルがあるのだろうが、それが見当たらなくて焦る。
「これは宿が存在しないのではないか」
「宿を取りなおさなくてはいけないのか」
というようなことがあたま浮かびます。
でも、地図を信じてそれっぽい「ドア」をノックしてみることに。
恐る恐るドアをノックします。
反応がない。。。
ドアノブに手をかけると、あら、鍵がかかっていません。
部屋にへ行ってみるも、人はおらず、「エクスキューズミー」を連呼するとおばちゃんが一人でて来ました。一瞬ホッとしましたが、どうも様子が変です。「シー」とジェスチャーをしています。
「ここはAman Hostel であっているか」と行くと
「違う」
ええええええええ。
民家に入っちゃった、、、
すぐに謝り、部屋を出ると、おばちゃんが「ホテルはあっち」と指差すじゃないですか。
再び謝り、その方向に行っても状況は変わらず。みつけられません。ただ、もう一つ、簡素な扉がありました。ここは鍵が閉まってました。
朝早かったので、昼過ぎにもう一度来てみるしかない。
ということで宿が見当たらないまま、重い荷物を背負って、郊外の街「バッティール」へ。
聖家族教会前のセルヴィス乗り場からバッティール行きのセルヴィスに乗り込みます。
セルヴィスは満員にならないと発車しないので人が来るのを待ちますが案外すぐに満員に。
途中で降りる地元民ばかりなのでバッティールまで行く人は自分たち以外いませんでした。
バッティールはユネスコ世界遺産に登録された段々畑の広がる谷間。ただ、世界遺産で観光客を呼び込もうとしている趣旨ではないのです。実は、第4次中東戦争時、この段々畑の谷間に沿うように走るイスラエル国鉄の線路上をイスラエルとパレスティナの軍事境界線と定めたことで「塀」を線路ぎわに立てる計画が進んでいたそうです。しかし、段々畑が広がる美しい景観が物語るようにこの土地ではイスラエルパレスティナ関係なく地元の人々が長く自分の畑で鍬を振ってきたのです。「塀」のせいで塀の向こう側の自分の土地にいけなくなるのは困る。そこで世界遺産登録することで「環境保全地区」と国際的に位置付けることで「塀」の建設を阻止したという経緯があります。
実際、パレスティナ側で写真を撮っていると、おじちゃんが鍬を持ってやって来て、線路をまたいで反対側の畑で作業し始めました。
おお、まさに「国境」を超えて日常があるのだ、と驚きました。
イスラエル側ではおそらく軍関係者とみられる車が止まっており、不法にイスラエルに入国するものがいないかチェックしているようです。まちがえておじちゃんについて行っていたら大変なことになってたかもしれません。
ここバッティールはそんな国境地域とは思えないほど、のんびりとしていて、日本みたいな穏やかな雰囲気が漂ってました。
とても好きでした。
バッティールからセルヴィスでベツレヘムに戻り、問題のホテルに向かいます。
ドキドキしながら行くと、、、
あ、さっきの扉が開いてる!
中に入り、人を探します。
おじちゃんを発見したので恐る恐る確認してみると、、、
あってた!!!
一安心。
でも、このおじちゃん、「日本人、私たちファミリー」みたいなどの国の人にも同じこと言ってるだろっていうw変アオジちゃんだったので話すのがめんどくさかったですw
いいおじちゃんなのですが、めんどくさいw
夜はあまり出歩きたくない街の汚さだったので,AFC(アラブチキン)で鶏肉を食べて宿へ。パレスチナ自治区は物価が安いので助かった。
翌朝、日の出を見に近くの見晴らしのいいところへ。
なぜだが見たことないくらい霞んだ太陽がぼあぁっと昇ってきてびっくりしました。
その後は前日混んでいて全部見れなかった生誕教会や聖母マリアの洞窟であるミルク・グロットを見て、ベツレヘムのバスセンターへ。
なぜかというと、一部情報ではベツレヘムージェリコのセルヴィスがある書いてあったものの、地球の歩き方には書いてなく、本当にあるのかを調べに行きました。
そしたら、本当にありました。
直通でジェリコに行けます!
ということで荷物をまとめてめんどくさいおじちゃんに別れを告げ、バスセンターへ。こちらはなかなか利用客もおらず、少し高く払ってくれるならすぐに発車すると言われた、大した金額ではなかったのでその条件を飲み、出発。
車から見えた光景は面白く、こんなところに?というとこに人が住んでたり、砂漠の大地が広がっていたり、運転が荒かったり、ジェットコースターのような楽しいセルヴィスでした。
ジェリコに着き、誘惑の山へ。ここはイエスが40日間断食をして悪魔の誘惑を受けた場所とされています。
ここに行くのに、ケーブルカーをつかいますがケーブルカーの駅までタクシー以外での移動方法がありません。なのでタクシーで行ったのですが、また事件が。
駅に着くとドライバーが「荷物は置いて行け、また迎えに来る。何時に無明けに来ればいい?」と聞きます。
普段ならここで荷物を持って行くところですが、駅にタクシー乗り場がないこと、電話が使えないことからこのおじちゃんを信用するというとてもリスキーなことをしてしまいました。
「2時間後にきて」
と伝えて別れを告げロープウェイへ。
怖いですね。
でもおりてしまったので誘惑の山を楽しみ、再びロープウェイで駅へ。
ドキドキの瞬間。
もし、いなければどうしようもありません。
さて、結果は、、、
いた〜〜〜〜〜〜〜〜!
嬉しくてすぐに乗り、ジェリコの中心部へ、とお願いしました。
しかし、「どこ行くの」と連続して聞いてきたので、エルサレムに帰る、と伝えると「エルサレムに一番近いバス停があるからそこまで案内する」と言い、ガソリンスタンドで給油し、120km/hで飛ばし始めたので不安になりながらもマップ上ではエルサレムに近づいてはいるので信じながら乗ることに。
マジでよくわからない町の道路で下ろされ、ここでバスに乗れ、というじゃないですか。マジでわからないのでどれ?と聞くと「きた」といい、「これに乗れ」といいバスを止めて来れました。とのことでなんとかエルサレム行きのバスに乗れたのでことなきを得ましたが、この運ちゃん、連れ回してお金を取る為に荷物を人質にしているようで、全部で100シュケル(約3000円)取られました。まあ、全てが無事なのでよかったよかった。
エルサレムについてもまだハプニング続き。
宿に行くも、宿であると地図上では表示されるのにそこに宿はない。
そこの建物に入って「ホテルはどこ」と聞くと、「ホテルはない」という。
え、2日連続ですか、、、
でも、ここの建物に住んでいるお兄ちゃんがホテルの連絡先を見せたら電話して来れて、ホテルの人を呼んで来れました。
優しい!
ありがたい。。。
で、10分くらいするとホテルの人が。
どうも移転したらしく昔の住所であったとのこと。(さっさと変えてくれ)
しかし、彼がいうには「昨日メールした」と行っており、よーく見てみると、移転先を知らせるメールがありました。
これは自分のチェックミスでした。
無事、チェックインできたと思ったら、今度は「チェックイン予定時間より早いのでまだ準備がでいてない」というじゃないですか。
「先に飯でも食ってきて、あとで部屋に来い」というので新市街を散策・食事。食事は高いので数日前に食べたサンドウィッチ屋さんで。ここ美味しいんだけど、やっぱりここでも高い。。。
それで宿に帰り、部屋に行ってみると、どうも中から人の声が。
ノックするとカップルが出てきて、オーナーを呼んでくれると「上の部屋に来い」というじゃないですか。
ダブルブッキングかよ!
「いい部屋にしたからいいレビュー書いて」と言われたけど、単なるミスでしょw
まあ、イスラエル最後の夜なのでなんでもいいです。
あとは翌朝起きて、バスに乗って、テルアビブに行って、空港に行って帰るだけ。
時間は空港3時間前に到着しておくことに。イスラエルは出国審査が厳しいというので。
無事3時間前に空港に到着。
そこから、出国まで、長かった。。。
まず、チェックインで係員にパスポートのスタンプ欄を見られて、なぜ、誰と行ったのか、を詳しく聞かれ、チェックインカウンターで荷物預けようとしたら、君たちのはあっちで検査するから自分で持ってけ、と言われ、カウンターよりも厳重なところに荷物をドロップし、そこから長い保安検査の列。荷物の全てに金属探知機を当て、素足にさせられ、係員が厳重にチェック。
その後、出国カードを受け取る機械でなぜか僕の顔認証が行われず、有人の窓口に並び、やっとの事で出国できたのが搭乗時間の15分前。そこから、両替してくれなかったシュケルを飲み物とお菓子で消費し、無事、飛行機に乗り込むことに成功。
ホッと一息。
モスクワでの乗り換えも帰りは1時間半だったのでスムーズに乗り換え。
10時間のフライトでやっとこさ成田空港に到着!
最後にイスラエルで預けた荷物がちゃんと届いているか心配であったのですが、ちゃんとコンベアに載って流れてきたのでめでたしめでたしでした。
色々と報道では危ないイメージのイスラエル。でも、実情は毎日何万もの観光客は来ているし、優しい人もいるし、文化圏が違う上に混沌とした文化干渉が見られる地域なので旅するのにはとても最適でした。
では〜
FUPCリコー撮影会in横浜!
お久しぶりです^ ^
週末はどこかに繰り出し、平日は授業に出てるため?旅行記が書けません笑
ということで、今日は軽めな記事、日本学生写真部連盟×リコーイメージング様のコラボ撮影会、「K-1markIIとFALimtedレンズで撮る横浜黄昏」について書いておきます。
きっかけはピクトリコショップ&ギャラリーで行なった2月のフォトマッチインカレ2018写真展に初回PMICに来てくださったリコーの営業さんが来てくださり、撮影会の提案をしてくださった事。
写真展の準備も僕中心で行ったこともあり、写真展をやる事でいろんな出会いがあるのだな、と改めて実感。そのご縁で、今回の撮影会も企画者のお手伝いをしました。
大学卒業までに個展はやりたいな。。。
さて、昨日の撮影会、講師には「街角スナップ」で有名な佐々木啓太先生をお迎えしての開催。
なんとも豪華!
まずは、PENTAX K-1の「ファインダー」のお話とFALimitedレンズの「創り」のお話。
普段はC社とN社を使ってるので、それとは全く違う「人間的」な光学性能への追求は興味深く聞き入りました。
そのあとは写真の話。
先生が開口一番言われた言葉は、「写真を上手くなろうとしないでください」というもの。
型にはまらないで撮ってほしい、と最初から指南なさるのはさすが、スナップ界隈の方だな、という印象。少し古い本ですが、大西みつぐ先生の著書、「デジカメ時代のスナップショット写真術」(平凡社新書)においても「・・・しかし、仕事ではないのだから、はじめから答えが用意されていることを現場でなぞっているだけでは面白くないではないか。そこで(現場で)生まれてきたイメージにどんどん反応していくことも必要ではないだろうか。」(P24 7行~P25 3行)と指南しておられる。
これにはとても納得がいく。決められたイメージをなぞることは写真の特性を生かしきれているのだろうか。今朝のニュースでも特集が組まれていた先日の星峠での事故は主にツイッターや写真雑誌の誌上などによって蓄積された星峠のイメージをなぞろうとする人が、同業者への必要以上の配慮で命を落としてしまった。写真を撮ることが自己表現ではなく、決められた観光コースを辿る観光の延長になっているようになっている。このことは観光資源の発掘、ということであるので推奨されてしかるべきなので、地元の人と一部の愛好家が集う星峠から万人が楽しむ観光地としての星峠へとハード・ソフトの両面で整備していかなければならない。星峠で作品が生まれないということではなく、「定番」以外の撮り方がいくらでもあるだろうし、どっちが偉いというわけでもないので定番組が邪魔なライトを消せと強要はできない。多くの人が目をつけない一角の田んぼに目をつけて夜に足を向ける場合、定番のための「暗黙のルール」を気にしなくてもいいはずだ。そもそも、そも「暗黙のルール」が安全でない場合は通用してはいけないのだが。
話が逸れてきたので元に戻すが、佐々木先生がもし一本だけ持っていくなら77mmを選択するという。(焦点距離が中途半端なのはペンタックスなのでご愛嬌w)先生曰く「周りの社会的情勢とか雰囲気とかも写すなら28ミリとかがいい(ペンタなら31mmですね笑)けど、自分が見つけたものをストレートに写すには77mmが自分にぴったりだ。」という。「ストレートに自分が見つめたものを自分らしく撮る」この姿勢をまさに先生も実践されているし、我々学生にも伝えようとしてくれたのだと思う。いろんな「イメージ」にとらわれず、自分の心の動きを撮る。このことは、中西先生から何度もアドバイスしてくださっていること(なかなか難しい。。。けど頑張る!)なので僕はいつも考えている(悩んでいる)ことですが、そうじゃない人が聞いたらものすごく刺激になるのではないでしょうか。それでいいのかって。そして、無意識にできてる人も自信がつくのではないでしょうか。そのような意味で、すごく有意義な講座であったと思います。
って思ってるのは主催者側の僕だけですかねwww
その他、単焦点画角クイズとか楽しめるものもあり、講座があっという間でした。(大学の講義もこんなに楽しければいいのに)
ということで、僕だけが他のみんなの倍以上相槌を打った?講義が終わり撮影へ!
少人数だったので佐々木先生と一緒に横浜の港町を歩きます。先生と同じ作品が撮れそうで撮れない背中の痒いところに手が届かない感じの写真家さんだな、と感じました。
スナップ撮る写真家さんと撮影時間を共にしたことはなかったのでその動きの軽快さには目を見張るものが。
スナップ写真を写真の授業で扱う理由がわかる気がしました。
で、天気がとても良かったので久しぶりに爆焼けの空を見れて、気持ちのいいものでした。
撮影後は、講評会。
一人、3枚をセレクトしての講評です。
佐々木先生からは「背中からの妄想」と「シンプルさ」の2点のアドバイスをいただきました。
割と、絵作りで主題のまわりものと関連させながら構図を作る癖があるので(これがうまくハマる時とはまらないときがある)そこのところを1ではうまく指摘してくださったと内省。
2では背中はスナップにおける肖像権の問題もあってのことのようですが、確かにありがたいアドバイスでした。何事もバランスですね。
3では自分の中でもこれ以上の捉え方がない(船の中に入った取材をしない限り)ものなので、まあ、完成されてるけど面白くはないかな、と思ったのですが、先生からは好評でした。確かにストーリーは紡げるように撮ったのでその部分が伝わったのでしょうか。
スナップという普段は本気で触れない部分を佐々木先生を通じて触りの部分に触れられたのはとても有意義でした。
持ちかけてくださったリコーさんには感謝です。
FUPCももっとイベントをしていかないといけません。
絶対に組み写真講座は実現したいです(願望)
では。
あ、機材のことどーでもいいので書いてなかったですが、借りたのは K-1markIIとFALimited31mmと77mmです!
3.11 8年目の三陸を訪ねて
3.11から8年が経ちました。
ちょうど一週間前、2019年3月11日に三陸に足を運びました。
2011年3月11日、私は中学一年でした。
ちょうど翌日から期末テストが始まるとのことで学校は午前中授業。帰宅してカップ麺をセットした時に地震がきました。神奈川も揺れ、たまたま自分の家の地区は停電しました。にも関わらず、悠々と揺れる前にセットしたカップ麺をすすりながら、地震の震源はどこなのか気にする程度でした。
停電してたのでラジオで震源を知り、その後、ガラケーのワンセグテレビがあることに気がつきニュースを見ました。津波の映像でした。
ただ、当時の自分には翌日からのテストのことで頭がいっぱいだったようです。
学校からテスト中止(成績はテストなしですとのこと)のメールを受け取ると、心の底から「ラッキー」と思ってしまいました。
テスト後に友達と行く予定だった旅行も行かないことになり、自粛ムードが嫌でした。
ちょうど、震災前に買ったカメラが震災の翌日に届きました。早く使いたいのに、旅に行ける感じではない。この状況に中一の自分はモヤモヤして、ろくに地震のことを考えなかったことを鮮明に覚えています。
この時の自分を思い返してみると恥ずかしさでいっぱいになります。
もし、大学生の今、大きな震災が起こったらすぐに現地に向かうと思います。
ボランティアも経験はないですが、参加すると思います。
でも、中学生当時は逃げるように普通の生活をしてました。
震災から一年半後、中学の種学旅行で宮古周辺に行きました。
この時、震災後の三陸に初めて行き、三陸鉄道や田老地区の方々に話を聞きました。
自分が直視してこなかった震災の爪痕を感じるとともに一年半で少しずつ復興も前進しているのかと思いました。
(2012年)
それから、行ける時に足を運んで自分の中で地震を考えてみたい。と思うようになりました。何もできないけど、せめて自分の心のベクトルは東北に向けておきたい、と。
その後、高校時代に一回、釜石周辺に行きました。(2016年)
そして、大学に入ると自分でお金を稼げるようになり、自然と行動範囲が広くなると2017,2018,そして先週と一年に一度足を運んでいます。
さて、今回の旅の話にしましょう。
今回は3/10-12の三日間、青春18切符で仙台まで行き、仙台でレンタカーを借りて回りました。
夕方に到着した仙台のタイムズで借りたのは、、、
アクセラ!
マツダ車はフィーリングがいいですね。
いつもヴィッツなので車内が広くて快適!
北限を大槌にしてこの日の夜に大槌まで行きます。
0時前に到着。
高台から街を見下ろします。
大槌は新しい家や新しい庁舎、マンションのようなものまで確認できました。
3/23日からは宮古〜釜石で元JR山田線が三陸鉄道リアス線として開通します。徐々にインフラも整い、町が生きてるように感じました。
車中泊。
朝、目を覚ますと
大雨、、、、
テレビで見た方はお分かりかと思いますが、今年の3/11は大雨でした。。。
外に出たくないレベル。
波浪警報も出てた。
外に出たくないけど、全身をGore-Texで纏って、カメラにレインカバーをかけところどころで車を降ります。
大槌旧庁舎跡へ。
ここでは式典があるのかメディアの方が集まってました。
続いて、釜石の下、吉浜地区へ。
リアス式らしい海岸。
三陸駅方面に南下します。
大雨なので、一回の滞在が短くなりがちです、、、
お昼前になったので大船渡へ。
ご飯を食べようとしますが、大船渡の魚市場のお店に行ったら混んでて入れず、、、
併設の展示を見て、セブンイレブンでおにぎりを食べ、陸前高田へ。
陸前高田で14時46分18秒を迎えます。
場所は奇跡の一本松。
大雨にもかかわらず、多くの方が追悼に来ていました。
NHKや岩手めんこいTV、朝日新聞や岩手日報などのメディアもいました。
サイレンが周りに家のない空間い1分間鳴り響く。やはり津波の悲惨さを考えてしまう時間でした。
2枚目の写真でわかるかと思いますが、川崎フロンターレのユニ(しかも今年の1stユニの22番下田北斗)を着ている方が!陸前高田はMind-1ニッポンプロジェクトでフロンターレが被災地支援をしている地域。選手が陸前高田に行ったり、陸前高田の中学の種学旅行は川崎。フロンターレの試合にも招待されて見に来てくださってます。ホームゲームでは「陸前高田ランド」というイベントでご当地グルメなどを等々力で食べれるなどお互いに友好関係があります。なので、サポの方がフロンターレつながりで足を運ぶんだ、と嬉しくなりました。フロンターレが被災地と繋がっていることで「支援はブームじゃない」というスローガンのごとく常にフロサポの頭の中に陸前高田が、東北が、あるということはとても大事なことだな、と感じました。
そんな陸前高田ですが、海から少し離れたところに大型商業施設ができており、生活は少し戻って来ているようですが、海の方はいつまで盛り土をしているのだろう?と疑問に感じてしまうような状態でまだまだ更地の状況です。
大槌や気仙沼・釜石などと比較しても盛り土の規模が大きく、復興はまだまだ先が見通せないような印象を受けました。
このあと、気仙沼向洋高校が3/10から一般公開が始まったとのことなので行ってみることに。
取り壊しか、震災遺構にするか議論されたそうだが、震災遺構として保存することになったとのこと。
16時に着いたら、15時までだった、、、
雨に降られまくって辛かったので、温泉に入りに行くことに。
普通なら近場で探すところですが、ここは大学生。
「泉質が良いとこにしよう」
とのことで田沢湖近くの水沢温泉に行くことに。
乳白色のお湯に入りに行きます。
良いお湯でした^ ^
盛岡でラーメンを食べ、再び向洋高校へ。
星を撮りに寄り道。
引き波で削られた校舎。
残った入り口の看板。
やっぱり重たいものがあります。
でも、震災遺構として残してくださったことは東北民でない人にとってはより被害を感じられるチャンスになります。地元の方々の決断にありがたく感じます。
朝焼け後、車を飛ばして仙台まで車を返したのでした^ ^
そして、電車で郡山へ。
郡山からタイムズカーシェアで浪江に行きます。
借りた車は、MINI CROSSOVER!
初めての外車で楽しくドライブ^ ^
浪江は昨年の3/11に訪れました。
そこから一年で変わっているかどうか見に行きました。
残った家屋などの取り壊しなどはまだ行われていなく、その代わりに何も手をつけられてなかった更地が盛り土と防災林造成の基礎ができてました。
請戸漁港は立ち入り禁止になってました。
こちらにも手が回ってきたということでしょうか。
双葉町方面に行った海岸線。
こちらは枯れ木が立っていたのですが切り倒され、大きな重機が入り、基礎工事が進められていました。
高台の霊園へ。
ここには碑が立ってます。
ここからの景色、まったく変わってないです。
被災したであろう墓地は見当たらなかったので基礎工事に伴い撤去されたのでしょうか。
少しずつ、基礎工事から着手されている印象を受けました。
また、この一年で変わっていくでしょう。
一通り回り、郡山へ。
そこから青春18切符でコトコト帰宅します。
家に帰る時間がなかったので直接夜勤へ。
夜勤をしてからお家に帰りました〜
今回は、大槌から陸前高田、気仙沼、浪江といくつかの街を回りました。
場所によって被害の程度、被害の種類、復興の進捗度はまちまちです。
東日本大震災は「天災」です。津波の被害を逃れることはできません。しかし、原発や防波堤による逃げ遅れ、ハザードマップの住民の認識不足など人的被害を大きくしたのは人間の行動です。ある意味「人災」ともいえると思います。
人がいなければ街は復興もできません。人がいれば、道のりは長いにせよ復興、新しい街つくりは可能か不可能かで言えば可能です。
天災と向き合うことは天災を人災にしないための教訓かと思います。
そして、天災が起こりにくいまちづくりをして行くことができます。
無力ながら、東北に心だけでも寄り添って行きたいです。
デジタル写真館7 8年目の三陸
先週、3月11日に三陸(被災地)を回って来ました。
年に一度は行こうと決めています。
その時に撮った写真です。
次の記事で思いを綴っています。
撮影日:3/10、3/11、3/12
機材:EOS R
EF17-40mF4LUSM/ EF24-105mmF4LISUSM