ふぉとde日記

思いついたことを撮ってきた写真とともに綴ります。できれば毎日シャッターを切りたいところですがマイペースにやっていきます。風景写真を中心に鉄道・風景・スナップ・Jリーグなど。たまに時事的な話題も。

観光地ってなんだろう?〜写真が楽しい理由〜

台風19号が心配な夜です。
明日の予定もなにもなくなったのでブログでも書こうかと思います。

旅行記を書くという目的で始めたブログですが、旅行記書くの疲れるのでたまには違うことも書いてみます^ ^

最近考えることに「観光地ってなんだろう?」ということがある。

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有名なアンコールワットサンライズ

 そもそも地球規模で人々が「Tour」を始めるようになったのは最近のことだと言われている。1970年以降に余暇が創出され、主に北半球の中心国から南太平洋などの周縁地域に余暇を楽しむように人が移動するようになったようだ。いわゆる「リゾート」というものがこれに当たると思うし日本でもこの時期に多くのリゾート地が開発されたのではないか。

 そのリゾート地ではその土地での文化や景観が優先されるよりも、受け入れる人側に合わせる開発が行われてきた。その後は、その反省として地域文化や自然への尊重をするツーリズムに変化しているという。

 

 よく出される例として「バリ島のケチャダンス」がある。実はケチャダンスはバリの伝統文化と言われるが「伝統の創造」とも言われる。

婚礼のコーラスである「ケチャ」+西洋による「振り付け」+ヒンドゥーの「ストーリー」=「バリ島のケチャダンス」

観光客の眼差しを意識した「ケチャ」の「観光化」が行われ、70年代の開発の反省以降に生まれた「本物志向」を求める観光客に多く受け入れられ成功した例とされる。

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「伝統の創造」ケチャダンス

 僕も実際に昨年バリでケチャダンスを見た。ダンサーは「役者」であり毎日同じ時間に「ショー」を演じる。それを毎日たくさんの観光客(世界各国から)が楽しく鑑賞する。僕が見たときも会場に入りきらないほど観客がいて席がなく、踊り場の目の前に座るように案内された。ある意味特等席ですね笑。ここで僕は多少の違和感を感じた。何を見ているんだろう、と。「パッケージ化されたショー」を見せられているだけなのではないか、と。自分が感じたいのはその土地での文化、人の営み、自然の景観。しかし、自分が見てるのはそれを加味しているとはいえ「見せる」、いや「見せよう」としてパッケージ化されたショーである。

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 バリと言えば今、海洋プラスティックゴミが有名観光地のクタビーチに押し寄せるという視点がパッと思い浮かぶ。僕が行った時にはゴミは見られなかったが「観光地」でも視点を変えればいろんなことが見えてくる。

 

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サーファーに人気のクタビーチ 

 バリ滞在中にタナロット寺院という一大観光地にも行った。ここはインド洋に突き出た寺院が有名なサンセットスポットだ。ここでは多くの人が夕焼けの写真を撮って楽しんでいた。そんな中、観光地の中(観光客が出入りする部分)で網を仕掛けて魚を取ろうという漁師さんがいた。アイコンタクトをとりその後ろ姿を撮影した。その姿を撮っていたのは僕だけだったと思う。他の観光客は興味なしといったところだ。他の観光客を否定するつもりは毛頭無いが「夕焼け+寺院」というパッケージされたものを楽しんでいるという構図を強く感じた。 (もちろん下の写真のように素晴らしくきれいだ)

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赤道に近い地域のサンセットはすごくきれいだ

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寺院と夕日を楽しむ観光客

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観光地の海でも漁撈生活をする

 今年の夏、カンボジアに行った。(旅行記は諦めました、、、笑)カンボジアと言えばアンコールワットという有名な世界遺産がある。アンコールワットのあるシェムリアップから南に10kmほど行くとトンレサップ湖という巨大な湖がある。そこには水上生活をしている人々がいる。その生活を少し見てみたいと思い調べたのだがどうもクメール語喋れず、現地ガイドなし、観光都シェムリアップから行ける場所は全て観光地化しているようだった。仕方ないのでトゥクトゥクで行ってみた。覚悟はしていたが市内からチケットセンターへ行き、そこから、ボート乗り場→(水上村を川から眺める)→手漕ぎボート乗り場→手漕ぎボート→折り返しの水上喫茶店(何も頼まずに撤退)→ボート乗り場、と「パッケージ化」されていた。もちろんこの道中で見えるものはたくさんあるのだが自分としては見たいところをじっくり見えないようなもどかしさを感じた。

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ボートで働く男の子

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船から見る水上村の暮らし

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手漕ぎボートでマングローブの中をクルーズするアクティビティー

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水平線が見えるトンレサップ湖

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 ホテルに戻りぽっかりと穴の空いた心を抱えながら一番近い湖畔の村まで自転車で行ってみることを決め片道1時間半ほど自転車を転がした。実はここも観光地されている水上村の入り口なのだが観光客の多くがスルーする「観光村」手前の村に入ってみた。結論から言うと観光客慣れしている村だった。ただ、「パッケージ化」はしていない印象を受けた。案内をしてくれたお兄ちゃんは自分の家にあげてくれ、そこから村(規模的に集落のようなもの)を一周案内してくれた。流暢では無いが英語で対応してくれたので僕のような変わり者が時々来るのだろう。最後にはちゃんと「ガイド料」と言う名の寄付をせがまれたので(現地における)それなりのお金を渡した。観光に対してお金を落とすことは1つのモデルケースであるのでこれに対して「無料でやってほしい」とは思わない。彼が案内してくれたから村で見たいところを回れた。彼が観光じみたことでお金を稼いでいるが村の暮らし自体は本当に貧しく観光化はされていなかった。この村も雨季のピーク時には水上村になるようでそう言う意味では水上村の暮らしを見ることができ良い訪問になった。(帰り道、スコールでずぶ濡れになりながら自転車を漕いだのは辛かった、、、)

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村を回りながらスナップ

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 日本でも全国各地で観光地のパッケージ化とパッケージの消費が日々行われている。それが人々の心を掴むのはメディアの影響では無いかと思ったりもする。TVで「死ぬまでに見たい日本の絶景」として紹介されるとそれを見に人々が殺到する。今はインスタやツイッターといったSNSによる拡散力も大きくなっている。各メディアで紹介される前までは静かな場所だったところが一度メディア上で大きな話題になることでパッケージ化の対象となる。インスタやテレビ画面で見たものと同じものを見ようとする。パッケージ化された風景が消費されていく。八甲田の蔦沼なんてこの数年ですごい観光地化したようだ。

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紅葉の蔦沼に差し込む朝日

 中西敏貴先生のnoteでは美瑛の「青い池」のことが取り上げられていた。まだ読まれてない方はぜひ読んでいただきたい。

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高橋真澄先生が何十年も前から切り取ってきた風景であったと言う。お恥ずかしながら高橋先生の作品は拝見したことがなくこの記事を読むまで全く知らなかった。今や美瑛の丘と肩を並べるほどに美瑛のイメージの1つに定着した青い池が昔は「発表しないでほしい」と言われるほどの存在であったという。ある写真家によって発見された固有の風景が今やパッケージ化された風景になった。観光地になった是非をいいたいわけではない。観光地がないと人が来ないことは事実である。情報が無いとその土地を知ることすら無いかもしれない。観光地は大事な場所だ。しかしそのパッケージ化された景観やルート「だけ」を楽しむ観光の形は勿体無いのではないか。その土地のポテンシャルは決められた「点」を回るだけでは感じられないはずだ。

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「観光地」の青い池

 ここで大事なのは「発見」すること。こんな人がいる、こんな風景がある、こんな食べ物がある、こんなものが植わってる、こんな動物がいる、こんな光がある、こんな夜空が広がっている、、、時間が変われば観光地自体も様変わりするし観光地のほんの周辺に面白いものがあるかもしれない。マス向けではなくパーソナル向けの「体験」型の観光が増えたっていい。編み細工の文化があるところなら1時間で作れるようなマス向けの体験ではなく、数日かけてがっつり体験できるパーソナル向けのプログラムが多くあると面白いかもしれない。点で観光地を作らずに村とかの「面」でその土地ならではの体験をできる曖昧な魅力を発信してもいいかもしれない。観光客がそれぞれコミットすることで全く異なる体験になるような観光。そんな観光って素敵だなって思う。

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田んぼに用水路だけでも綺麗な風景だと気がつく

 僕の場合は写真を撮ること自体がアクティビティーになっている。いろんな人、風景を見つけてシャッターを切ることが楽しい。観光地に行かなくても、いや、行かないからこそ「発見」できる可能性が高くなるから楽しいのかもしれない。まだまだ上手く「発見」することはできないが楽しいから続けられる。これからもいろんな「発見」をしていきたいからカメラを片手に旅をしたい。

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学校のすぐ隣の公園で