何をどう撮るか〜新天地での2ヶ月〜
お久しぶりです。
ここ数ヶ月アウトプットばかりしてきて、ちょっと立ち止まって自分を見つめ直してみようか、と思う日々です。
その反面、4月に北海道に引っ越してきて、これまで馴染んでいた風土や景観とは違うものが目に飛び込んできます。仕事を覚えるのはもちろん、その上でこの土地を理解するために大地を感じたい思いも大きいです。
文章とは面白いもので、こう、書き出してみると少し頭の中が整理されていく気がします。とはいえ、整理しきれていないので、ここから先よくわからないこと言うかもしれないですがご了承ください。。。
ここ最近は、撮影地がわからないようなイメージを写してきました。
光の形、自然の形の美しさ、木々の儚さ、地球の鼓動、、、
おそらく、このスタイルはこれからも変わらないでしょう。「あそこだ」と言われるよりも、見てくれたひとがその人自身の経験から「なんかいいな」だったり心の琴線に触れることができればこの上ない喜びです。
そのためには、自分がテーマをしっかり持つ必要があります。テーマがしっかりしていないと受け手が何を言いたいのか感じ取ってくれません。このテーマが自分では弱いと感じます。
確かに、自然は大好きです。火山(ジオ)が好き、渓谷が好き、水の流れが好き、星が好き、月光も好き、、、
好きなものを追ってるだけではどうもバラバラになってしまって。
そこをいかにぎゅっと一本に繋げていくか。テーマを絞っていくか。そして新天地である北海道というフィールドでどのように紡いでいくのか。
北海道にはこれまで本州にたくさんあったような箱庭のような里山もあまりなく、コンパクトで気軽に入れる渓谷も少ないです。落葉広葉樹も道南の一部地域を除いてブナが欠如しています。実は、この3つはよく本州で撮影していたモチーフで。ちょっとしたカルチャーショックを受けています。運転していてもダラダラと続く大地のメリハリのなさに自分のアンテナが反応しないような感覚です(笑)。ただ、まだ、2ヶ月しか経っていません。知らない魅力がたくさんあるに違いありません。それが楽しみです。
引っ越してきてから少ない時間ですが北海道にカメラを向けてきました。
大きな風景、絶景を表現したいとは思わないので一般的な北海道のイメージからはかけ離れているものばかりですね。
そして、こっちに来てから、いわゆる絶景はほぼ撮っていない代わりに、光と木々が見せる様々な表情により敏感になったような気がします。「気」が。
絶景を見せて「綺麗!」となるよりも自分の感覚で歩いた森や大地を見てもらうことで受け手が再体験するのではなく新たな体験として受け取ってもらう。そんなことを目指したいわけです。いつも思っていることなのですが、いわゆるオーソドックスな観光パンフレットって一年に何度起こるかわからないような絶景をバーンと見せて人集めをするじゃないですか。それってなんか違うって思っちゃうんです。100人いれば100通りの感じ方があるわけで、もっと根本的な部分をPRしていくべきなんじゃないかと。自分の撮り方もこの感覚に少し似ているかもしれません。
山や水や光そのもの、木々とった被写体の言葉で表せるような表層の概念に捉われない絵を意識しているつもりではいます。あくまで意識しているだけに留まっていますが。。。
ここからどう変わっていけばいいのか。土地を理解したら、自分の中の感覚と自然をシンクロさせていく、自分の中の美意識、問題意識をフィールドに見出していく。土地を理解するのと同時に自分の中身もアップデートするように。仕事も含めた写真以外の色々な時間も大切にしてインプットを増やしていかなくては。
これから「休日」が休まる気配を知りません。そんな社会人生活のスタートです。