写真展「pulsation~鼓動~」を終えて
久しぶりの投稿ですね。
1月28日から3月3日まで1ヶ月以上もの間、富士フォトギャラリー銀座のオープンスペースにて小規模ながら写真展を行わせていただきました。
機会をくださった方々には改めてお礼申し上げます。
そして、新型コロナウイルス感染症拡大による蔓延防止期間であったにもかかわらずにお越しくださった方々、ありがとうございました!
写真展をおこなうにあたり、ここ2~3年の写真を見返してみました。ちょうど風景写真を撮り始めたのが大学1年生の秋から。最初は綺麗な景色を求めていましたが、2年生の秋ころからだんだんと自分の心の赴くままに風景を切り取るようになりました。
季節ものの写真も多く撮ってきましたが、やはり自分の中では地球が見せる様々な表情を見せたい、気がつきました。温泉が好きなのもどこかで繋がっているのかもしれません。できる限り場所性を排除して波や雲や雪が作る形や星や火山の美しさなどを写そうとしてきました。
今回パネルにした5枚の作品は以下の5点。今の自分の表現できるだけのものを出したつもり。見せたかったのは2枚目と5枚目。力強い地球の鼓動が表象している部分をどっしりとした表現を試みました。
とはいえ、撮影地は有名な場所ベースで行ってしまう自分が。もちろん、作例写真には興味ないのでカメラを向けることはないのですが、もっと息するように撮らなきゃダメなのかな、と。
そして、一番感じたことは、やはり、その場その場でいかに自分が「感動した」と思った場面を撮ったとしてもそれが写真を並べた時に必ずしも意味をなすわけではないということ。今まで、大学時代にサークルの写真展では全体の中の一部でしかなかったため、頭では分かっていた(組写真やフォトブックを作る際に感じてはいた)ものの、ここまで大きなショックとして浮かび上がることは今までありませんでした。
そして、風景写真だとついつい綺麗だったり自然が見せる美しい表情に目がいってしまうのですが、それは作品としてありのままを写してもポストカードにしかなり得ない。逆に、それをいかに自分の世界に引き込むか、絶景ではない風景をいかに自分の世界に引き込んで魅せていくか。この作業の連続なのかもしれません。
そのためには、本当に自分が向き合えるテーマに沿った撮影をしなくてはいけない。ただ、風景が好きで、自然が好きで、写真が好きで、というのを繰り返してはこれ以上先のものは生まれてこないということに強く気がつくことができた展示でもあります。
会期中、マンボウ期間だったこともあり、2日しか在廊できませんでした。その中でも多くのお褒めの言葉もいただきました。特に5枚目の作品が人気で自分もお気に入りの一枚だったので嬉しく思います。ただ、会期を終え、自分で100%納得できた展示ではなく(展示をする人にとってそれが当然のことなのかもしれませんが)より良いものを作るためにどうしたらいいのかを考えている日々です。(この2週間、仕事が忙しくて実はそんな余裕がなかったりするのですが笑)
その反動というか、シャッターをたくさん切れなくなっている、頭で考えてやめちゃっている気がします。テーマに出会うためにも現場で色々なことを感じるためにもできる限りカメラを持ってうろちょろしないと、と思っています。あとは学生時代から色々な写真家さんの影響を受けているのでそれが色濃く残っているのは仕方ないのかもしれません。自分色をもっと出せるように意識はしているのですがすぐには変えられないようです。とはいっても焦っても意味はありません。楽しく、時には悩みながら一歩でも先の表現をできるようにやっていきたいです。
今度は、もっと大きな展示をできるように。